2010.11.26   さくらがやって来た

10月5日(火曜日) 秋の空が澄み渡る暖かい日でした。

仕事を終え、みんなで事務所を出ようとした時、

ドアの向こうから「ニャ〜ン」

うん? ネコ?

そういえば夕方から、子ネコの鳴き声がしてたような。

ドアを開くと、子ネコが・・・。

「あら、どこから来たの? 迷ったの?」

「ニャ〜ォ」

首輪をつけているから迷ったのかしら。

でも、汚れまくって痩せてるし、捨てられたのかも。

「ニャ〜ォ」

「ダメよ、向こうにいきなさい」


車を出しても、後から追っかけてくる。

「ニャ〜」「ニャ〜」

不安定な格好で走ってくる、その健気さを

可愛そうと思いつつも、

助けても、飼ってあげることが出来ないし、

ほんとに後ろ髪を引かれる思いで、

アクセルを踏み込んだ。

 

翌日の10月6日(水曜日)

 朝、事務所へ向かう途中、夕べの子ネコのことが気になって、

あたりを見回してみたが、もう、どっかへ行ったみたい。

ネコ好きな人に拾われていますよう、そんなことを思ったりしながら

事務所に到着。

「うわっ!」・・・、いるし!

ドアの前に座って、こちらを見ている。

「ドキッ」

 

「おはようございます」

 

子ネコが近づいてくる。

「ニャ〜ォ」「ニャ〜ォ」

 

 

 

ウソでしょう〜、ほんとに〜。

「どうして〜、なんでいるの〜」

「ずっといたの?」


 「ハイ」

 

どうやら夕べは、車を追いかけた後、またトボトボと事務所に

引き返してきたみたい。

「あのね、みんなネコが嫌いでどうしようもないの、どっかいきなさい、ネ」

 

 

お昼の休み時間、事務所のドアを少し開いてみたら、

「ありゃ・・・ いる!」

寝てるし。



「ぐう〜、すう〜」

放浪の旅で、疲れているんだろうな、

安心しきって、いびきまでかいている。

しかたが無い、そっとしといてあげよう。

 

所長のゆうさんが畑に、植えつけた白菜の苗を見に行こうと

玄関のドアを
開いたら、まだガンバッテいる。

「まだ、いるよ〜」

 

「おともしま〜す」

 子ネコはゆうさんの後をついていく。


「おまえ、がんばるな〜。」

  「ハイ

まるで子犬のようについていく。

 

畑仕事のお手伝い。 

ゆうさんがやることと同じように、

小さな手でチョコチョコと土をかける。

 

その後も、ゆうさんにぴったりマーク。

 

何とか、気に入ってもらおうと、それはもう必死。

くっつくべき人間を見抜いている!

うーん、なかなか心得ている。

 

散歩から帰ったゆうさんは、みち子さんに、

「牛乳があったでしょ、アレあげなさい」

 

 

 「やっぱりあのおじさんはいい人だった」

 

何かを口にしたのは久しぶりなのかも。

おいしそうに、わき目もふれずに飲んでいる。

 

ゆうさんは熊本市の愛護センターや地元の合志市に電話をして、
迷いネコの届け出がないか、
調べてみたが該当するものはなかった。

管轄の菊池市保健所に、迷いネコとして届けた場合どうなるのか、
里親を探す制度はあるのかなど、電話で尋ねてみた。

ところが・・・、
迷いネコは、預かって一週間で処分するという。

「どうしますか?」

「いえ、結構です」

とは、いったもののどうする? ゆうさん。

とにかく、保健所に連れて行く以外のことで考えよう、ということになった。

そのころ、子ネコは勝手に玄関で門番。

 

 

 

 

 

結局、しばらくはペットフードを与え玄関には、
ダンボール箱にバスタオルをひいたものを用意した。
今のところ夜間もそんなに寒くはないので大丈夫。

近所で子ネコを飼ってくれる人がいないか、
近くのコンビニにチラシを貼ったり、努力してみることにした。
 



子ネコが事務所の軒先で生活を始めて3日目のこと、

私たちは熊本市内で開催される講演に出かけた。

子ネコは私とゆうさんの足元でペロペロ。

「じゃあ、いってくるからね」 

「ニャ〜ォ」
かなり体力を回復したみたいで、元気に車を追っかけてきた。

講演が終わったころに、みち子さんから電話が入った。

「子ネコが帰ってきません。」

「いつから?」

「車を追っかけたまま帰ってきません。」


みんな、
しょんぼりしました。

 

翌朝、ゆうさんは事務所に来る途中、
もしかしたら事務所周辺をさまよっているかもしれないと、
あたりを見回しながら運転していました。

そうすると
「あっ、いた!」

窓を開け、
「おお〜い」

「ニャ〜ォ」


走ってきます。
懸命に走ってきます。

「心配したでしょう、どこいっていたの!」



雨に濡れた子ネコをゆうさんは抱っこしました。

ネコ嫌いのゆうさんが抱っこしました。


どうやら講演に出かけた私達を追っかけて、
車が見えなくなったところで、
じっと待ってたようです。

ところが私達はその日に限って別の道から帰ってきたので、
子ネコは一晩中待ち続けたのだと思う。


あれから・・・




「コーヒーいれましょうか?」


「コピーしましょうか?」


 お陰で皮膚病も中耳炎も
 治してもらい、健康になりました。

 みんなから、
 「頑張ったね!」
 「粘り勝ちだね!」といわれます。

 「さくら」という名前をつけて
 もらいました。

 一生懸命、お役に立ちたいと
 思います。





スタッフの一員になった「さくら」の物語でした。










のり子さんのこと

 映画のラストシーンで彼女は大海原を泳ぎました。
 自分を信じて飛び込んだのです。
 それは波光きらめく海面に、まるで人魚が飛び跳ねるかのようでした。
 あれは社会という大海原に挑む、彼女のひたむきな生き方そのものでは
なかったかと思います。

 のり子さんは、あれからずっと泳いでいます。どんな荒波も乗り越えています。

 26年が経ちました。
 熊本市役所を退職して、いま全国に向け、講演活動を行っています。
 
 安定した職を辞め、なぜ? よく聴かれる質問です。
 多分、「典子は、今」を観た人は理解できるのではないでしょうか。
 「わたし、やってみる」なのです。

 講演では決して他を引用することはありません。
 すなおに自分の半生を語っているだけです。
 おとなは「のりこちゃん会いたかった〜」と、まるで遠地の娘や孫が里帰りをしたような、そんな喜びの表情で迎えてくださいます。
 また、学校では子どもたちが目を輝かせて聴いてくれます。そして講演後、こどもたちは教室の窓から「のりこさ〜ん」と手を振って送ってくれます。
 そのときの子どもたちの元気な声と笑顔、うれしい限りです。

 きっと、のり子さんは人々に元気と勇気を与えるために生まれてきたのです。



 小学生たちがこんな感想をくれました。

「足を使って食べていても、恥ずかしく思いません。だって足を使わないとできないこともあるからです」(2年生)

「私はのり子さんが伝えたかったことは、“人のやさしさ”だと思いました」(2年生)

「のり子さんは小さいときだけしか、泣かなかったというのを聞いて、胸が“キュッ”とひきしまって感動しました。「のり子さんの足は100万ドルですね」(3年生)

「えいがの中でのり子さんが、“私やってみる”といって挑戦するのを見て、“すごい、私もがんばろう”という気持ちになりました」(4年生)

「ぼくははじめてしったことがあります。ひとりぼっちだったら生きていけない。【典子は、今】の歌を聞いて、友達を大切に、友達は一生つきあっていく人、友達がいたら楽しい」(5年生)

「遠泳大会ではつらいこともあったけれど、のり子さんのことを思い出し、みんなで完泳することができました。なんでもやる前に無理だと決めず、チャレンジしていこうと思いました」「これからもつらいことがあったら、のり子さんのことを思い出し、乗り越えていこうと思いました」(6年生)

「【典子は、今】を見て、命はとても大事なものなんだと改めてわかりました。もし、障がいをもつ人がいたら、差別やいじめをするのではなく、僕たちが励ましあったり、支えあったりしなければいけないと思いました。のり子さんに会えてうれしかった。僕は命を大切にして、これからも人にやさしくしてあげれたらなぁと思いました」(6年生)
(講演以来、交流を続けている福井県小浜市立雲浜小学校、岐阜県羽島市立正木小学校の生徒たちの感想文の中から原文のまま)

 こんな子どもたちの素朴なお手紙が全国からたくさん届きます。
 この純粋で素直な気持ちを大切にしたいと思います。

 講演の旅はまだまだ続きます。
 それは、「今を大切に生きる」のり子さんを待っている人々がいるからです。

(スマイルビー 白井のり子事務所長 夕川 泰博)

 
 
小浜市立小浜小学校児童
 
「典子は、今」のテーマ 大合唱
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小浜市立雲浜小学校
  オリジナル曲
  やればできるできないものはない

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